青汁王子は実業家でありながらYouTuberとしても活躍し、さらにはブレイキングダウンに出場するなど様々な顔を見せてくれます。
今回は、そんな青汁王子はどのような道を歩んできたのかご紹介します。
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三崎優太 青汁王子の生い立ち
彗星の如くメディアに登場し一気に時代の風雲児となった青汁王子こと三崎さんですが、どのような生い立ちがあるのでしょうか。
出身は北海道北見市
三崎さんは、1989年に北海道札幌市で生まれました。
そして、その後北見市に引っ越し生活を送っていました。
北海道北見市は北海道東部に位置しており、北海道内で一番大きい市でもあります。
幼少期は変わり者だった
三崎さんは、自身の幼少期を振り返って「変わり者だった」とおっしゃっています。
何か大きなことを成し遂げる人は一般的な枠には収まりきらないということでしょうか。
青汁王子の回想
僕ね、子供の時からね、変わってたんですよ。
もう本当変わり汁みたいな感じだったんですけどね。 もう本当に変わってましたね。 でね、もうずっとゲームしてましたね、ゲーム。 ゲームが大好きだったんですよ。 で、おばあちゃん子で、最近亡くなっちゃったんですけど、おばあちゃんの家ばっか行ってましたね。 |
あの青汁王子がおばあちゃん子だったとは、ちょっとほっこりするエピソードですね。
高校中退後、通信制の高校を卒業
三崎さんは、あまり高校に馴染めず高校を二度退学しています。
その後、通信制のクラーク記念国際高等学校を卒業しています。
その当時は遅刻癖があったり見た目も派手であったことから、アルバイトの面接には全然通らなかったそうです。
三崎優太 青汁王子の誕生
青汁王子の誕生はパチスロがきっかけ
三崎さんは、18歳の時にパチスロの打ち子を始めます。
※当然、パチスロは未成年はやってはいけません。
そして、奇跡的に当たりを引きます。
大当たりを引いた三崎さんは自転車を盗みウキウキで帰ろうとしたところ、職務質問にあいます。
職務質問は何とかやり過ごしたものの、「どこかに自転車を乗り捨てなければいけない。」ということで、書店へ駆け込みます。
そこで時間潰しのために手に取った本が『桁違いに儲かるアフィリエイト術』という本です。
これが三崎さんの人生を大きく変えます。
アフィリエイトで大成功
アフィリエイトとは、インターネットでサイトを立ち上げて記事を書き、そのサイトの閲覧者が広告を踏んだり広告商品を購入することで報酬を得る仕組みです。
三崎さんは、パチスロで当たったお金で買ったパソコンと本を片手に、寝る時間以外はパソコンの前に向かいました。
当時はまだアフィリエイトという仕組みが世の中に浸透しておらず、三崎さんも若く完成が鋭かったことから、アフィリエイトを開始してわずか1ヶ月で10万円の収益をあげました。
そして、この成功体験をもとにサイトを量産していき、最終的には月収400万円を達成しました。
ビジネスインフルエンサーということもあり、「胡散臭い」という意見も目にすることもありますが、こうして過去の経歴を辿ってみると実力でビジネスに成功されている方ということが分かります。
アフィリエイト後、フルーツ青汁が大ヒット!
三崎さんはダイレクトマーケティング、今風に言うとD2Cビジネスで成功しました。
三崎さんが新たにビジネスを始めた当時、D2Cが流行り始めていました。
何を売ろうかと考えた時に、自分が興味のある美容だったら頑張れるのではないかと三崎さんは思ったそうです。
そして、美容商品の中でも市場規模が大きい「青汁」を選択しました。
青汁といえば当時、苦くてまずいが代名詞でした。
CMでも「不味い、もう一杯」という言葉が広く認知されるほど青汁=体には良いが苦くてまずいもの、という共通認識が国民全体にありました。
そこで従来の概念を覆すスッキリとした飲みやすいフルーツ青汁を作り、これが大ヒットしました。
三崎優太 青汁王子が衝撃の逮捕
実績も資産も積み上げ、上り調子のフルーツ青汁の会社をバイアウトするまさにその時、三崎さんは逮捕されてしまいます。
「青汁王子 逮捕」という言葉のインパクトが強く、勝手に「脱税した人」のような印象だけが独り歩きするようになりました。
実際に起きていたことがご本人の口から明らかにされました。
※ここから先のお話は、三崎優太さんがお話しされていたことをベースにまとめています。
「売り上げをつけてくれないか」
三崎さんは、ある人(Aさん)から「三崎くんの会社は儲かっているから、うちの会社に売り上げをつけてくれないか」と持ち掛けられます。
そして「税金は払うんですか」とちゃんと聞いたところ、Aさんは「ちゃんと責任を持って納税をする」と答えたそうです。
三崎さんは、お礼もすると言われ知り合いのお願いということもあり、善意で協力してあげることにしました。
これがのちに「架空発注だ」といわれることになったそうです。
お金を振り込んであげるも事業の実態が見えず
その後、三崎さんは2年間にわたってお金を振り込んであげていたそうです。
しかし三崎さんは、お金を振り込んであげているにも関わらず、Aさんは事業をやっている様子が見られないと怪しむようになります。
最終的に、三崎さんは「これ以上はお金を振り込んであげることはできません。十分協力してあげたと思うので、あとは自分でやってください」と伝え、Aさんとは縁を切りました。
ある朝、国税局が突然やってくる
ある日の朝7時、三崎さんの元に国税局が突然やってきます。
「お前脱税やってるやろ!」と凄まれますが、三崎には身に覚えがありません。
三崎が一生懸命弁明していると「Aを知っているか」と聞かれたそうです。
話を聞くと、Aさんは納税なんてしていなかったそうです。
客観的事実だけ並べれば、三崎さんがAさんに架空発注してAさんが納税せずに現金を引き出していたという形になります。
このことから、報道では「チープな脱税スキーム」と揶揄されたそうです。
何故か修正申告が認められず
三崎さん自身は何も脱税していなくても、甘さがあったことは認めました。
そして三崎さんは修正申告を国税局に申し出たところ、何故かこれが拒否されてしまいます。
なぜ修正申告できなかったかというと、三崎さん曰く、日本は出る杭は打たれる社会だからとのことです。
「メディアに出たりしていることが気に食わなかったのではないか」とお話されています。
国税局の調査も、三崎さんだけでなく親族にまであたったりと嫌がらせのような調査もされたそうです。
憔悴しきった青汁王子は国外へ、そして逮捕
半年で終わると言われていた執拗な調査は一年にも及び、三崎さんは憔悴しきっていました。
そして日本が嫌になり、三崎さんはマルタ共和国へ飛び立ちます。
マルタ共和国での生活は自由で、本当に幸せだったそうです。
そんな幸せも長くは続かず、国税局から「日本に戻ってこい」という連絡が入ります。
帰国すると、「海外逃亡のおそれがある」ということで逮捕されることになってしまいます。
しかし、三崎さんは国税局の監察官からは出国の許可は事前に得ていたと後に語っています。
三崎優太 青汁王子、検察側の主張を認めそしてビジネスインフルエンサーへ
青汁王子も納得し、検察の主張を認める
逮捕後は刑事事件として取り扱われることとなるため東京地検特捜部に移行します。
東京地検特捜部は、いわゆる検察の中でもエリートの集まりです。
そして、三崎さんは特捜部の方にも脱税はしていないという説明をします。
そこで国税局では言われなかった言葉が、三崎さんを納得させます。
それは、「Aさんが納税していてもしていなくても、三崎さんが経営していた会社の税金をごまかすことには変わりないよな」という言葉でした。
三崎さんはこの言葉に納得し、否認したところでさらに長引くことも踏まえて、検察側の主張を認めました。
「発信する場が欲しかった…」そして超一流のビジネスインフルエンサーへ
三崎さんがYoutubeを始めたきっかけは、これまで話した一連の事件を発信する場が無かったためです。
偏った報道や面白おかしくコメントするタレントにストレスを抱えながらも「本当は違う」と言える場がありませんでした。
そこで、今後このようなことがないようにとYouTubeでの活動に力を入れるようになりました。
今ではご存じの通り、ビジネスのノウハウを発信して一人でも多くの方がビジネスで成功し大金を掴めるよう情報発信をするビジネスインフルエンサーとして大活躍されています。
まとめ
今回は、青汁王子こと三崎優太さんのプロフィールをまとめました。
現在もなおビジネスインフルエンサーとしてご活躍されています。
是非、今の三崎優太さんをチェックしてみてください。
きっと何かを頑張ろうという気持ちになれるでしょう。